独立は本当に自由だったのか
アフリカやアジアの国々が次々と独立を果たした20世紀後半。学校で習った歴史のなかでは、この時代は植民地支配からの解放として描かれることが多い。しかし、実際の現場を追うと、ある不可解な現象が見えてくる。
「独立したはずの国が、なぜか豊かにならない。」
「天然資源が豊富なのに、国民の生活は良くならない。」
「政治は安定せず、治安も悪化し、腐敗が蔓延する。」
そして皮肉なことに、独立前の宗主国や欧米の巨大企業は、相変わらずその国で利益を上げ続けている。これはいったいどういうことなのか?
軍隊による支配から契約による支配へ
植民地時代はシンプルだった。国旗を掲げ、軍隊を置き、資源を運び出す。だが独立後、欧米の資源メジャー(石油・金属・鉱物を扱う巨大企業)は、もっと洗練された方法で、利権を維持するようになる。キーワードは 「契約」「債務」「援助」「治安支援」。支配の道具は軍隊から、外交書類と投資契約に変わった。
資源開発契約、開発援助という名の貸し付け
石油や鉱物の利権を、現地政府と長期契約で独占。ロイヤリティはごく僅か。利益の大半は欧米へ。支援のように見えて、返済不能な債務が積み上がり、国はIMF・世界銀行の指示に従わざるを得なくなる。
治安支援という名の軍事顧問
テロ対策、治安改善の名目で軍事拠点を維持。結果、資源地帯だけはなぜか強力に守られる。独立した国のはずが、主導権はどこか別の場所にある。これこそが 新植民地主義(ネオコロニアリズム) と呼ばれる構造だ。
傀儡政権という見えない支配
独立後のアフリカでは、欧米と親密な政府だけが安定し、反欧米的・自主独立路線の政府は不思議と短命という共通点がある。これは偶然ではない。たとえば1960〜80年代、欧米諸国はアフリカ各地で、親欧米派を資金・武器で支援。政権が言うことを聞かなければ制裁。反体制勢力を民主化勢力として後押しといった動きを繰り返した。
自主独立を掲げた政権は、経済制裁、クーデター、内戦の火種にさらされやすかった。その結果、多くの国で欧米に都合の良い傀儡政権が生まれ、資源メジャーと国際金融が安定的に利益を確保できる環境が整えられた。
資源メジャーが作る繁栄しない国
なぜ資源が豊富なのに国民は貧しいのか?これは「資源の呪い」と説明されることが多いが、実際にはもっとシンプルな話だ。利益は地元に落ちない構造だから、地元が豊かになるわけがない。たとえば…
- 原油は欧米企業が採掘
- ロイヤリティはたった数%
- 税金も優遇措置で最小限
- 国民は他に職が無く安い賃金で働く
- 利益は欧米の本社へ送られる
これでは国が発展するはずがない。資源がある国ほど貧しいという逆説は、実はちゃんと理由がある現象なのだ。
ネットでよく見かけるアフリカは怠け者説の誤解
インターネット上では、何十年援助しても貧困が続くアフリカに、次のような言説が散見される。「働かないから援助しても意味がない」「政府も国民も腐敗している」「援助に依存して自分たちで努力しない」「教育レベルが低く、高度な仕事ができない」「文化や習慣が経済発展に向かない」。これは大きな誤解。この言説は、実際の統計や歴史的背景を無視した偏見であり、現実は援助金は援助国へ還流、資源の収奪、植民地的歴史など外部構造に起因する場合がほとんどだ。
フェアトレードと新植民地主義の不穏な接点
では、ここで連載のテーマである「フェアトレード」に一度話を戻したい。フェアトレードは、たしかに搾取の歴史に対するカウンターとして生まれた。しかし、現実には欧米の認証団体・NGO・輸入企業が制度を握っている。
商品が「エシカル」とされる基準も、価格の決め方も、認証の費用も、すべて欧州中心のルールである。つまり、フェアトレードは善意の制度でありながら、その構造には新植民地主義的な非対称性が残っている。もちろん、悪意ではない。しかし構造としては、どうしてもそう見えてしまうのだ。
そして今、欧州の影響力が揺らぎ始めた
2020年代に入り、新しい動きが起きている。アフリカの一部国家で、欧米中心の支配構造を断ち切る。という明確な政治路線が台頭している。その象徴のひとつがブルキナファソの政変だ。
- フランス軍の撤退
- フランス系企業の利権見直し
- ロシアなど非欧米勢力との連携強化
こうした流れが周辺国にも広がり、フランスは歴史的な影響力を失いつつある。結果として、欧州経済はエネルギー・資源調達においてかつてない混乱に直面し始めている。独立後も続く見えない支配に、いよいよ終わりが近づいている。
では私たちは何を学ぶべきか?
この連載は、欧米批判が目的ではない。重要なのは、「美しい言葉の裏側に、どんな構造があるのかを知ること」「善意の制度にも、無意識の力学が作用すること」を読者と一緒に考えることだ。フェアトレードも、エシカルも、サステナブルも、正義の言葉として扱われるほどに透明性が求められる。
第3回:フェアトレードの価格は誰が決めているのか
次回では、フェアトレード認証の「価格の決まり方」と「運営構造」をさらに深掘りし、その矛盾を具体的に読み解いていく。倫理は誰の手で作られているのか。


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