連載:竹川 圭のshoe人十色
shoe人十色

第22回 橋本公宏

モノがもつ色気を
その靴を見て、初めて知った

ホルモンの良し悪しは下処理、業界用語で言うところの「掃除」を
どれだけ手を抜かずにやるかにかかっているという。
初めて訪れたその店のクオリティの高さに感嘆した僕に、
オヤジさんはやっぱり掃除の大切さを説いた。
帰り際に橋本さんの紹介で、と伝えると途端に色めき立ち、
「彼はいい職人だよね。これ、良かったら食べて!」
靴も見えない部分のつくり込みが大切なプロダクトであり、
オヤジさんは橋本に、自分に通じる愚直な職人気質を感じたのだろう。
それにしてもタナボタだった。キンカンの旨いの何の。

工房には現在、4人の職人が在籍する。左手前から時計回りに、靴好きが高じて北海道から上京した矢藤達郎、最古参となる佐藤日向子、橋本を挟んで、メンバーに加わったばかりの村上塁。笑いの絶えない工房で、その掛け合いは家族の団欒を見ているようだ。ほかに製甲を担当する樋之本東暁がいる。

持ち前のバイタリティで
関信義の弟子になる

 子供時分に敵わないなぁと思っていたのがちょっとヤンチャな同級生だった。大人が顔をしかめるようなコトに精通していて、僕はといえば周りにいる賑やかしのひとりだった。格下には手を出さないって男気もあった牧歌的な時代。その頃のガキ大将がそのまま大人になったら、きっと橋本になる。
「口より先に手が出る」羽田の漁村地区で生まれ育った。高校卒業後はトラックの運転手などをしながら、僕には書く勇気のない体験もしてきた。あるときハタと省みる。このままでいいんだろうか、と。そんなときに出会ったのが、靴だった。
「オジキに見せられたチャッカブーツ。その圧倒的な色気にヤられました」
 叔父さんは知る人ぞ知る地元羽田の靴屋で、そのブーツは連載第一回で登場した関信義の手によるものだった。
「オヤジの靴にはつくり手の苦労が微塵も感じられない。靴というよりも、自分の生き方そのものにプライドを持っているからでしょうね」
 それから工房を構えるまでの粘り強さは、「狙った獲物は逃がさない」スナイパーさながらだ(笑)。
 業界のイロハもわからないまま関に弟子入りを志願。ご存じのように敷居は高い。まずは基礎を身につけてからだといわれて職業訓練校の台東分校を受験するも、折りしも手製靴ブームの真っ只中。なんと、3年連続で不合格。ならばとエスペランサ靴学院にターゲットを変更、入学した事実をもって(エスペの就学期間は2年だが、1年弱で辞めてしまっている)、「ムリクリ」に門下へ加わる(どうムリクリなのかは笑って答えなかった)。荒くれ者に囲まれて育ったバイタリティ、恐るべしだ。
 橋本の生き抜く力、したたかさはイマドキちょっと見あたらない。

橋本が叔父の店のために唯一、自分の名を冠したコレクション。オーセンティックゆえ、手釣りならではの甲の立ち上がりの流麗なシルエット、ヤハズの美しさが引き立っている。出し縫いのみマシンによる九分仕立てということを考えると、価格設定も特筆に値する。右4万5150円、左5万1450円/靴のハシモトTEL.03・5756・9282

はしもと・きみひろ●1971年東京・羽田生まれ。高校卒業後、水道工事やトラック運転手、カラオケ店の店長など職を転々。28歳で手製靴職人を志し、紆余曲折を経て関信義に弟子入り。浅草の北に工房を構えるのは05年のことだが、すでに10を超える取引先をもち、製甲1人、底付け4人の態勢を整えた。この春にはさらに3人が加わる。

橋本の工房で製造を請け負う新進ブランド「フォルメ」。過剰なデザインワークはないのに、デザイナーの個性が浮かび上がっている。手製靴のポテンシャルを知っていなければ出せない風格だ。寡聞にして知らなかったが、これは相当にいい。6万6000円/ホルメTEL.03・6795・0147

関の系譜に連なる
下請けという選択

 この連載のツネで取材が終わるとそのまま呑みに流れたが、当たり前のようにスタッフを連れてきた。若い連中はやはり体力があり、気付けば日付もとっくに変わっていた。そのパワフルさもさることながら、僕が魅了されたのはその場に一貫して流れていた、親密な空気だった。橋本をカシラに長女長男、末っ子という役回りができあがっている。末っ子が何かしら質問すると上の二人が矢継ぎ早にアドバイス、ここぞというところで父親がビシッとまとめる、という具合に。
「とにかく強固なチームがつくりたい。そうして、若手に道をつけてやりたい」
 同世代の職人と明らかに異なるのは、チームのカタチとして下請けを積極的に選んでいる点だ。関の存在が影響しているのは間違いないが、その選択は小気味いいほどのプロとしての気概をもたらす。
「デザイナーの思いや感性を十分に反映させるためには、オレはニュートラルじゃないと」
 結果としてテクニックは自己表現のためではなく、取引先を満足させる引き出しのひとつになる。コストに見合った仕事をいかに早く、正確に仕上げるかという潔さが生まれる。いまや腕利きの職人として、いや、チーム・ハシモトとして業界では有名になった。
「靴は所詮歩くための道具」との割り切りはある意味、昨今の手製靴ブームに対するアイロニーだが、黒子の自分と重ね合わせた節もある。もちろん決して卑下しているのではない。漁村で慣らした不器用な物言いである。書き加えてくれと頼まれたコメント、「顧客様と、これから出会えるであろう一人ひとりに感謝します」も、らしい。
 関はこれからの職人は表に出なければならないという考え方をもっており(70歳を超えてこの柔らかな思考には驚かざるを得ない)、橋本には「こんなヤツがいてもいいだろう」といったそうだが、僕なら可愛くて仕方がない。
「オヤジが引退するといったとき、初めて泣くかも知れない。辞めさせないけどね(笑)」なんてセリフを聞いたら、なおさら。

企画・取材・文:竹川 圭 写真:是枝 右恭