イギリスの学校を出たものの、おいそれと働き口はない。ようやく見つけたのが、ロンドンから電車で北へ2時間30分の地、リーズに工房を構えるマーク・ビービーだった。木口の運命を左右した彼は現在、スウェーデンのさらに自然豊かな地に引っ越している。奥さんの体調が思わしくなかったというのがその理由だが、現在はケアワーカーの資格を取り、その道で生計を立てながら靴づくりを続けているという。マークと木口には共通項がある。手前が直ちゃんで、奥が木口。

第20回 木口充恵

履く人の心まで温かくしたい。
そう思って、つくり続けてきました

90年に「ケイコとマナブ」という雑誌が創刊されると程なく、
女性の間で習い事がブームになった。
その頃OLを辞め、靴の学校に入った木口と靴づくりの関係は
正直言えばそういうもんだと思っていた。
だから僕は大いに謝らないといけない。
なんたって今や引っ張りダコの、舞台用シューズのつくり手なのだから。

2つ上の姉の影響でイギリス好きになり、短大時代には短期留学も経験した。一旦はOLを選んだ木口の転機はかの地を特集した就職情報誌。しかし彼女の目にとまったのはたまたま、同じ号で紹介されていたシューデザイナーだった。そのインタビュー記事から日本に靴の学校があることを知り、「おぉ、面白そう」と退職と入校を決めてしまう。この身軽さにはしびれるが、身内にとっては青天の霹靂。家族会議が開かれた。「お姉ちゃんにはそれまで何でも相談していたので、特にショックだったみたい。今ではほとんどの公演を観に来てくれますが、そのときばかりは3対1で攻められた(笑)」

ヒストリカルシューズ、
という世界

 その靴はヒストリカルシューズという。舞台などのために製作される歴史を彩った靴を指すが、シェイクスピアの国、イギリスでも細々といった形容がしっくり来る規模でしかない。
 後に師匠となるマーク・ビービーの工房を初めて訪れた瞬間、「これだと直感的に思った」――という話は良く聞くけど、僕はいまだかつて人生を左右するような直感に出会ったことがない。単に鈍いだけか、まだ答えを見つけていないのか(後者としたら問題だ)。
「これほど素朴な靴は見たことがありませんでした。大量生産と違って二つと同じものがないというのも良かった。飽き性の私が今も続けられるのもそのおかげ(笑)」
 もちろん、パイオニアに苦労はつきもの。すぐに仕事は見つからない。3年のイギリス生活の後、帰国した木口はしばらく実家の群馬にいた。その事実だけで僕は色眼鏡で見てしまったのだから、ずいぶんと失礼な話だった。
 いや、眼鏡に色をつけてしまった理由はそれだけじゃない。道を切り拓いていくようなヒトは有無を言わせぬ凄みがあるとステレオタイプなモノの見方をしていた僕にとっては、自らを「幸せな性格」と評するヒトトナリも煙幕として有効に作用した。
 と、自戒を込めて前哨戦。ここからはどうか、虚心坦懐で読んでください。

(写真左)こちらが木口が製作したプーレーヌ。13世紀に誕生した履物だ。つま先の長さが履き手の権威を象徴した。底付けはターン製法と呼ばれるもので、木型に釣り込んだアッパーにソールを縫い付け、裏返せば完成。いまでもバレエシューズなどで残る製法だ。舞台で動き回ることを考え、つま先は実際より短めにしている。
(写真右)さすが独創的な木型が並ぶ。奥の皿に盛られているのは木口のトラウマ。熟練職人の技に釘を口いっぱいに頬張るというのがあるが、学生時代に真似をして飲み込んで以来、とか(笑)。

靴は履けなければ意味がない。
だから一杯工夫する

 看板を掲げて6年目を迎える今年、手掛けた公演数はすでに70近くにのぼる。取材時は「薔薇とサムライ」(劇団新感線)など、3つの公演を掛け持ちしていた。まさに売れっ子といっていい。
 きっかけはツテを頼ってたどり着いた衣裳デザイナーの大御所。史実でしか知ることのなかったサンプルはただちに評価された。こんな靴、見たことがないわ、と。
 つま先が異様に長いプーレーヌや今で言う厚底をさらにデフォルメしたようなチョピン。現在の底付け技法が生まれる前のターンシューという製法、水をたっぷり含ませて木型に沿わせる釣り込み…。
 一見すればアートだ。作家としての道もあったんじゃないのと聞くと、言下に首を横に振った。
「靴である以上、履けれなければ意味がない。履く人の心まで温かくしたいっていうのが変わらぬ思いなんです。そんな私にとって、舞台靴はこれ以上ない選択でした」
 だから真骨頂はその先、となる。当時の靴を忠実に復刻しつつ、そこに自分なりの工夫を込める。たとえばもともと繊細なレザーをさらに漉いて使う。それは履いた瞬間から足に吸い付かなければならない、その靴ならではの気遣いだ。仕上げには花をモチーフにした穴飾りなど、女性らしい味付けがまぶされる。
 本物としての風格と、隅々まで行き届いた丁寧なモノづくり。仕事は順調に、どころか一旦軌道に乗るとすぐにキャパを越える。2〜3時間しか眠れない日が続いた。パートナーの直ちゃんこと、実久直子に声をかけたのはその頃だった。ロンドン時代にルームシェアをしていた相手だ。
 この直ちゃんがまた面白い人で、長年務めた金融関係の会社を退社、イギリスの病院でボランティアをしながら語学の勉強をしていた。そんなときに木口と出会い、靴の世界へ。帰国後、実家の広島で注文靴工房を開業すると、新聞で紹介されたことでやっぱりパンク寸前に。「このままでは靴をキライになってしまう」と今度はイタリアに渡り、かの地の靴屋で働いていた。
 二人の昔話が耳に心地いい理由がわかった。寄り道をしない生き方も悪くはないけど、そればかりでは疲れてしまう。芯さえしっかりしていれば、ゆらゆらと波の流れに身を任せているようでいて、いつか岸にたどり着ける。その好例。アカが入ったので泣く泣く書くのを諦めた(笑)夢の中身も、木口ならひょいと実現してしまう気がする。
 納品したらそれきりの仕事なので、完成するとひとしきり褒め合うという。話し好きで朗らかで、彼女たちの掛け合いは昔結構ハマった「やっぱり猫が好き」を見ているみたいで、楽しい。

きぐち・みつえ●群馬県館林市生まれ。短大卒業後、製薬会社に就職。4年のOL生活を経てエスペランサ靴学院で基礎を学んだ後、紳士靴メーカーに入社。企画として5年弱勤め、渡英。トレシャムインスティテュート、コードウェイナーズというふたつの学校で改めて靴づくりを学び、マーク・ビービーに師事。帰国して数年は契約デザイナーをするなどして過ごす。04年、ヒストリカルシューズ職人としてスタート。

企画・取材・文:竹川 圭 写真:是枝 右恭