第19回:荒井弘史
「機械と手に優劣をつけるのは
間違っていると思う」

靴が庶民のものとなった戦後、
高度成長期以降を第一段階とすれば、業界はいま、第二段階に来ている。
量産から付加価値のあるモノづくりへ。
荒井はこの新たな局面でキーとなる大概のモノ・コトの先陣を切った。

(写真上)木型を削る荒井。削り始めると、仕掛かりの仕事もすっぽかしてしまうのだとか(笑)。現場で鍛えられただけあって、やっぱり職人気質なところがあるようだ。
(写真右)取引先のイメージが靴に落とし込めるのは、それだけネタの引き出しをもっているからだ。物腰が柔らかで、この人に任せておけば安心って思わせる話術もある。

足にぴたりと吸い付く
オリジナルの木型

前回紹介したワールド フットウェア ギャラリーの日高竜介が一目惚れした「ミヤギコウギョウ」、その仕掛け人が荒井である。
「ドレス屋として、ちゃんとしたドレスシューズがつくりたかった。それだけです」
 先に言っとくと、普段は結構饒舌なのに取材となった途端、テレなのかはぐらかす。荒井は、そういう男。
 グッドイヤーを得意とする山形の老舗、宮城興業。名だたるブランドの製造元が自らの名を冠したオリジナル。日高の回で書いたとおり、その靴は僕にとっても数年ぶりのヒットだった。一言でいって、5万円アンダーとは思えない佇まいがあった。
 足のカタチに忠実な、グラマラスなフォルムは好例だ。
 まだまだと謙遜するがその木型は荒井が自ら削っている。
 木型はその道うん十年のプロの聖域だった。製靴現場を知っているとはいえ、そういう意味では門外漢である。だけどさ、とやんわりいう。
「これまでの木型職人って、どれだけその木型でつくった靴を履いて、確かめたんだろう? そもそも戦後の木型って効率が重視されていたわけですよね」
 確かにそれまでの木型は作業のしやすさを優先した、起伏の少ないものだった。
 多くの若者が門を叩いたことで、技術は公開されるようになっている。荒井は先んじてその知識を吸収してきた。少なくとも僕の足には一分の隙もなく吸い付いた。

これが僕ももっているオリジナルWhen I’m Sixty-Four。ビートルズの曲名から拝借したその靴に選んだのはコードバンという素材と、ダブルソールというコンストラクション。まさに「64歳になっても」へこたれない頑強さを求めてたどり着いた答えだ。トップラインを切りっ放しとしたのも、ペーパーで磨けば元に戻るからだ。

頭じゃなく、体で考えた、
ハンドとマシンの融合

 家電の街、日立で生まれ育つと深い考えもなく工業系の高専へ進学した。その将来に不安を感じた荒井は「モラトリアム期間」と称して山形大学に編入。アルバイトに通ったのが宮城興業だった。
「その頃はかつて手製靴で飯を食っていた職人もいました。話を聞いているうちに興味をもって仕事終わりに手ほどきを受けるように。1〜10まで自分の手の内で完結するそのスタイルにのめりこんでいった」
 そのまま就職すると、勤務後の時間を自身の靴づくりにあてる毎日が続いた。宮城興業には若手の育成を目的とした研修制度があるが、県外出身者初の社員となった荒井はその第一号でもある。
「はじめは断ったんだけどね。パチンコ行きたいんだって逃げようとする職人をつかまえて、教えてくれるって言ったじゃないですかーって(笑)。アイツは懐に入るのがうまい。そしていつだって深夜まで工場にいた。いま、現場には研修生が10人以上いるが、年配とうまくやれているのはアイツが下地をつくったからだね」とは同社、高橋和義社長の弁。

そうして10年ほど前、オリジナルを発表した。それは、機械生産をベースにしたものだった。
「工場だって、人の手なしには成り立ちません。マシンとハンドに優劣をつけるのは間違っていると思う。両方見てきた僕の答えは、それぞれの長所を生かしたモノづくりだったんです」
 ウエスト部分の底面が屹立したフィドルバック、履き込んだ風合いを出すための仕上げのクセづけ。その靴にたっぷりの色気を感じた僕はその場でオーダーをつけた。ハンドによる付加価値付けというのはひとつのトレンドになったけれども、その嚆矢である荒井は現場に入り、自らの手を動かしてその答えを出した。

 しかしなんといっても見逃せないのは、現場とデザイナーや店との橋渡し的な役割を創り出したことだ。思い描いた絵をどうカタチにするか。それには双方の言葉が理解できる存在が必要だが、荒井には現場で培った技量と、デザイナーたちの意を汲む感性がある。洋服屋やデザイナーブランドで見かける国産靴のレベルがぐんと上がっているが、その呼び水になっているのは間違いない。
 彼の仕事の領域をざっと上げれば、取引先と打ち合わせた後、デザイン画、型紙、木型を製作し、サンプルの材料を手配、試作したサンプルを元に最終的なツメを行い、発注数を決める、となる。もちろん生産に入ってからも、何かあれば臨機応変に対応する。
 この不景気によくもまぁ安泰なポジションを捨てたもんだと他人事ながら心配になったものだが、昨年5月に実質退社、妻子を伴って上京した。宮城興業のブランチ的な役割を兼ねつつ、新たな方向性を模索していきたいという。何か成し遂げるヒトってのは時代じゃないんだよなと、思う。

あらい・ひろし 1972年茨城・日立市生まれ。茨城工業高等専門学校から山形大学に編入。大学在学中より宮城興業でアルバイトを始め、卒業後正社員に。08年5月、浅草に荒井弘史靴研究所を設立、再スタートを切った。

メンズウエアブランド、ソーイとこの秋スタートさせたダブルネーム。「お気軽シューズ」をコンセプトにしたシリーズで、逆ウエッジと呼ぶソールの仕様は荒井オリジナル。安定した履き心地が魅力だ。ボロネーゼ製法で返りの良さも抜群。ソールの材料には宮城興業が開発したRBセラミックスを採用している。米ヌカを混ぜて、耐滑性を高めた東北ならではのソールだ。

企画・取材・文:竹川 圭 写真:是枝 右恭