欲しい靴がなかったんで、じゃ、自分でつくろうかと。

深く知るとコレクションを見る目が曇るから、
という理由でつくり手と一定の距離を置くことをルールにしている先輩がいた。
見識だけど、意思が弱い僕は面白いと思えばすぐ呑みにいく。
代わりに、そういう相手は取材のハードルを高くする。
そのシバリのおかげで、水戸街道(ローカルで恐縮)をチャリで蛇行しながら
大声でののしり合った男がいる(苦笑)。
長谷川良治である。

不器用な性分が生んだモード。

 知り合って何年もの間、仕事で絡むことはなかった。少し前まで何をやりたいのか、見えてこなかったからだ。で、酔いも手伝って歯に衣着せぬ物言いをするものだから、場は途端に険悪になる。
 いい加減そのパターンが続いてうんざりし始めた頃、「展示会をやるから見に来てよ」と連絡をもらった。
 とても珍しいことだけど、僕はファーストコレクションでオーダーをつけた。

 ベースはクラシックだ。が、つま先にボリュームをもたせたラウンドフォルムはクラシックのそれではない。華やかなパンチングもやっぱり異なる。ひと目でそれとわからないアシンメトリーなデザインや、要所に配した真っ赤な糸のクロス掛けにいたっては先鋭ですらある。「トリッカーズよりはドレッシーに、グリーンよりはカジュアルに」というのはわかりやすい。発想が新しいわけではないが、その顔つきはかつてなかったといっていい。あまり褒めるのもどうかと思うけど(笑)、一つひとつのスペックはクラシックから採っているのに、一足の靴として完成した途端、モードをまとっているというか。
 何よりいいなぁと思ったのはぱっと見、コレクションがいつも同じに見えることだ。聞いてようやくわかる程度の変化しかない。
 一般的にデザイナーには、その時々の気分を具現化する力量が求められる。しかし展示会がそれ一色だと、軽薄を感じるのも確かだ。
 長谷川は多分、同じことをやろうとしてもできないはずだ。会えば決まってライダースにTシャツ、デニム、そしてハットという出で立ち。極端な偏食を思わせるほど、好みにブレがない。

赤いステッチをクロス掛けした、通称シャコ止め。羽根の付け根を補強する役割がある。ドッグテール(踵の補強革)にもその意匠が見られる。縦に屹立させた底面の仕様はフィドルバックと呼ばれるもので、ウエストをシャープに見せる効果がある。ビスポークに範を垂れる仕様だ。7万9800円。

墨田区にある長屋を改造した仕事部屋。入ってすぐがサンプルを陳列した商談スペース、右奥が作業部屋になる。長谷川らしい雰囲気のある空間だが、よく見ると砂壁。さすが下町だ(笑)。

 僕はひそかに、根が不器用なんだろうと思っている。自分でも薄々は気付いているようで、丸ごと一足つくれる技量を有しながらデザイナーの道を選んだ理由を、「すでに工場と付き合いがあった。同時に二つはできない」と語っている。
 かといって独りよがりとは違う。器用さがない分、目先のアレコレにとらわれることなく、時代の深いところにリンクしている感じ。だから、モード。
 その分掘り下げが深い。1シーズンで100枚近いデザイン画を描くという。それはコンマ単位の深化を追求する姿勢だ。そして、完成度の高さがダメを押す。
 長谷川は工場にオファーする際、ひと工程ずつ、その仕掛かりを自分でつくって見せる。頑固な職人も、実物を突きつけられたら「そんなのできねーよ」とはいえない。製靴技術は単身渡英して、かの地で習得した。

長谷川は1シーズンに100枚ものデザイン画を描く。バリエーションの少なさを考えれば、その数はとても多い。コンマ単位でこだわっている証左だ。

長谷川が靴の世界に進むきっかけになったジョン・ムーアの靴。取り扱う店に何回か通ったが好みの色は入荷せず、諦めきれずに色違いを購入したそう。ムーアの斬新な発想に影響を受けたクリエーターは靴業界に限らず、多い。

フリーターのハシリだった!?

 高校を卒業した長谷川は、金が溜まると海外に渡る気ままな暮らしを楽しんでいた。それなりにファッションには興味があり、あるとき、夭逝した天才、ジョン・ムーアの靴に目が留まる。が、自分の欲しい色はない。乱暴に途中を端折ってしまえば、じゃあ自分でつくろうとイギリスに飛ぶのである。
 とにかくフットワークが軽い。ツテもなく渡英したと聞けば軽いどころか、無鉄砲だ(今じゃ死語になりつつある形容だ)。
 ちなみに出発の前日は仲間と朝までしこたま呑み、弟に起こされ、弟の車で空港に向かったそうだ。窓を開けて、こみ上げてくるものをまき散らしながら…。
 事前に情報だけは頭に入れていた長谷川は、ジョン・ムーアの愛弟子とも言うべき木村大太の靴を買いに行く。そして弟子入りを志願する。そこで、多くの業界人と知り合う。
 今日の成功はもちろん彼の才能もあるのだけど、それも周りのバックアップあってこそだ。メジャーデビューとなった伊勢丹との取引はマグナムのツボさんが推したものだったし、展示会を開くよう勧めたのはトコさん(=TO&CO.デザイナー)だった。
 先日、長谷川の旧友を交えて呑む機会があって、そのときその友人は「昔はこんなじゃなかったんだけどね」とこっそり教えてくれた。「こんな」というのは腰の低さだ。その友人に対してはめっぽうぞんざいで、なるほど変わったんだと知った(僕に対しても近い態度をとるのはなぜだろう?)。
 謙虚で不器用。そこに才能の片鱗を感じ取れば、ヒトは放っておかない。

プロフィール

はせがわよしはる 1969年、東京墨田区生まれ。高校卒業後、職を転々。98年、渡英。昼は名門コードウェイナーズカレッジに通い、夜、木村大太の元で製靴技術と人脈を培う。00年に帰国、04年に初の展示会を行う。メジャーデビューは伊勢丹。そして09年、ビームスでの本格的な展開が始まった。

企画・取材・文:竹川 圭 写真:是枝 右恭